イケフェス大阪2019の2日目の午前中は、事前申し込み制で当選者しか見学できない「輸出繊維会館」ガイドツアーに参加。
BMCの「いいビルの写真集」で予習して見学してきました。
イケフェスガイドツアーで輸出繊維会館を見学
大阪を拠点に数多くの名作を設計した建築家・村野藤吾の技が冴える。といっても、一見すると 派手さのないビルらしい外観なので、多くの方が気にせずに通り過ぎてしまうかもしれない。しかし、眼を凝らせば、直線的なイタリア産トラバーチンの壁と、キラリと光る角を丸めたアルミサッシの取り合わせに、レトロ感と未来感が不思議に混じり合っている。西側に張り出した玄関庇や、内部の手すりも繊細な造形。内部の壁画は堂本印象によるもので、その中でも前室の壁画 は“万邦交易”を表現している。こうしたアーティストとのコラボレーションも村野のお家芸だ。 大阪の繊維輸出業界が生み出した、時代を超越した会館である。
引用:大阪市HP
建設年:1960年
構造・規模:SRC造8階、地下3階
設 計:村野・森建築事務所(村野藤吾)
20名の参加者を案内してくださったのは、近代建築史が専門の京都工芸繊維大学助教授・笠原一人先生。
1階、中地階、地下1階、屋上を約1時間かけて見学するツアーでした。
案内してもらった順にご紹介します。
まずはエントランス。
朝ドラ「べっぴんさん」でキアリス本社のロケ地としても使われていたので見覚えのある方がいるのでは?
エントランスに飾られているのは、日本画家・堂本印象の原画を使ったガラス製モザイクの壁画。(印象のサインも残されています)
海の中のイメージで構成されていますが、抽象画的なので何の生き物かはわかりません。
近くで見ると、3センチ四方のタイルが一枚一枚貼られているのがわかります。
輸出繊維会館・屋上
屋上の塔屋上に鬼の角のような避雷針がありました。
避雷針にいたるまで村野藤吾デザインです。
美の壺に登場した階段はこちら
堂本印象の壁画は階段下まで続いていました。
優美な曲線を描く手すりは握りやすいように計算されて設置されています。
輸出繊維会館・地下のサロン
会議室へとつながる地下のサロン。
船の絵が描かれた華やかなタペストリー「船と虹」も堂本印象の作品。
こちらも朝ドラ「まんぷく」の日本即席ラーメン工業協会発足式会場のロケ地として使われています。
籐製の衝立や椅子、UFOのような照明も村野藤吾作。
輸出繊維会館・中地階への階段とロビー
中地階ロビーへと続く階段。
繭のような編み模様は繊維業で一時代を築いた輸出繊維会館ならでは。
輸出繊維会館・外観と玄関庇
外観がシンプルなだけに、ドーム状のキャノピー(玄関庇)が目を引きます。
大阪を代表する建築家、村野藤吾とは
村野藤吾は1891年(明治24年)佐賀県生まれ。
(誕生日は5月15日。15日生まれだから藤吾と命名されたのでしょうか?)
1918年(大正7年)に早稲田大学卒業。
大阪とは無縁だった村野藤吾でしたが大学卒業後、「関西の名手」と呼ばれる渡邊節の建築事務所に就職したことで、大阪を拠点にするようになりました。
渡邊から「ツーマッチモダンはいかん。売れる図面を書いてくれ」と言われ続けた村野。
当時の最先端であった装飾性のないモダニズム建築ではなく、民衆に受け入れられやすい「商都大阪ならではの建築」をデザインするように叩き込まれたようです。
渡邊節建築事務所で綿業会館の設計をチーフとしてまとめ上げたのち、独立して大阪に自らの建築事務所を設立。
宇部市渡辺翁記念会館(重要文化財)、志摩観光ホテル、世界平和記念聖堂(重要文化財)を手掛けるなど、戦前から戦後まで長く活躍を続けました。
村野藤吾建築のデザインは様々ですが、いずれも見る人や使う人にとって「親しみやすく、飽きのこない魅力に満ちたデザイン」といわれています。
まとめ
イケフェスのガイドツアーは毎年申し込みに当選しないと参加できないプログラムですが、ぜひ応募してみてください。
当サイトでは投げ銭システムを導入しております。
支援金はサイト運営費に使わせていただきますので、ご協力お願いいたします。