淀屋橋交差点に建つ近代建築、石原ビルディングは再開発事業のため(早ければ)年内に解体されることが決まっています。
石原ビルディング付近を通るたびに地下にあったMJB珈琲店淀屋橋店(2017年に閉店)を思い出していました。
記憶が蘇るスイッチが消えるとMJB珈琲店自体のことも忘れてしまいそうで、切なくなります……。
純喫茶ブームの流れで、訪れた喫茶店をSNSなどに投稿する人は増えているんですが、かつてあった喫茶店について調べようとすると、ネット情報のみで探すのは困難。
金沢喫茶村や、岡山の「喫茶東京」の記事のように、MJB珈琲店の歴史を記録として残すことにしました。
MJB珈琲店のあれこれ
簡単な歴史
1946(昭和21)年、心斎橋に1号店がオープン(※)。
※上本町六丁目が1号店という説もあり。
その後上六店、淀屋橋店、梅新店(大阪駅前第三ビル地下二階)、淡路町店などあわせて6店舗を出店。2017年の時点では、3号店としてオープンした淀屋橋店のみが営業していた。
創業者:秋山梧堂
明治36年愛媛県生まれ。大阪で育ち、京都立命館に学ぶ。28歳のときに喫茶店を開業し、以来コーヒー道ひとすじに。
第二次世界大戦までに大阪に5店を開き、洋酒洋食料品店の藤屋も開店した。大阪MJB珈琲店会長、大阪喫茶店連盟理事長、月刊誌「喫茶大阪」の編集・発行人。
参考文献:おいしくいれるコーヒー入門
日替わりコーヒーの先がけだった「七色の珈琲」
「七色の珈琲」は昭和31年に創業者である秋山氏が打ち出した日替わりブレンドコーヒー(1週間で7種類)のキャッチフレーズ。日替わりコーヒーをセールスポイントにするコーヒー専門店の先がけだった。
MJB珈琲店 淀屋橋店の写真記録
まとめ
薄暗い店内でぼんやりするだけで心のわだかまりを溶かしてくれる喫茶店でした。
独特の字体で書かれたメニューを見るのが楽しみでした。
モーニングでコーヒーを頼んだら、マスターが「おかわりはどう?」と声をかけてくれる瞬間が好きでした。
調べている最中の中途半端な記事ですが、かつてMJB珈琲店で働いていた方々はまだお元気でいらっしゃると思うので、早めに載せました。
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